昔のRPGに見られるような未知の地へ少年が進んでいく冒険譚は最近のアニメには存在しない。あの『葬送のフリーレン』ですら巡回済みマップをもう一度歩くという、どちらかといえばポスト・アポカリプスものの形式に近い作品である。フリーレンはポスト・アポカリプスの持つ悲観的な現代認識と異なり、人間の善性に期待する超越的な視点に立っていると思う。巡回済みマップをもう一度歩くともいえるし、もっと的確にいうと周回プレイでやり込んでいるともいえるので、その点ではRPG的なのだが純粋な冒険譚ではない。(逆になぜ周回プレイをしているのかを考えると面白いかもしれない。ソシャゲや対戦ゲームが覇権を握る現代に対して、買い切りゲームをやり込むことは主体性や他者への想像力を回復する手段であり現代の処方箋なのだと表明しているのかもしれない)
『ダンジョン飯』を見てみると、主人公はモンスターの知識が豊富で、未知のものに出会っていくというエキゾチシズムがない。ダンジョンの攻略を死に戻りしながら繰り返すという設定もメタRPG的である。アスペルガーの主人公像や多民族・多文化理解も現代的である。少年が成長していく物語性や、ステージが変わって風景・美術に感動したり新しいモンスターのレベルに不安を抱いたり、そういった純粋なRPG的体験を取り入れた作品は昨今ない。没入感と言い換えてもいい。
なろう系において町でお店を開いたりスローライフを送ったりする作品があるが、それらは他者をNPC化して自己の承認欲求の手段にしており、先ほど述べたRPGの没入感を否定するものであり、更にはゲームのコミュニケーション性(送り手と受け手の交流)への侮蔑ですらありうる。フリーレンにおける送り手の意図を更に深く読み解こうとする態度とは正反対なのがなろう系(物としてのゲーム)である。
なろう系というと、昔はMUGENというフリー格闘ゲームがあって、キャラやステージをつくったりそれを改造して「最強」キャラを作るのが主要な楽しみ方であった。商業ゲームでさえチートで遊んでいた世代もある。そうした遵法精神の欠如や力という規準がなろう系を形成するものである。
神秘性を備えたRPG的作品の台頭を期待したい。映画の『DUNE』を見たときもそう思ったものである。