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Channel: とーとろじいの計画
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またなろう系の話をしている

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ダンジョン飯』の主人公はASD的特性が見受けられると前回述べたが(それは当作品に現代的要素が備わっているという話なのだが)、見方を変えればなろう系の非人道的(倫理観の欠如した)な主人公像を一応付与するためにそうしているのかもしれない。なろう系との連続性を持たせているともいえるが、そこには作者の批評が見られる。

しかし私は知識不足なのだが、ダンジョンものと呼ばれるジャンルでは死に戻りが当たり前で、その独特の倫理観が読者にとって障壁になるので、敢えてASD的とも思われる強烈な個性を主人公に持たせて読者を納得させようとしているのかもしれないしそこはわからない。理由はともあれ、結果的に『ダンジョン飯』は、周りに常識人を配置し、なろう系的主人公像を相対化することに成功している。漫画という手法も手伝っているが、書き手と主人公には隔たりがあり、妹の死をなんとも思わず共感力に乏しい主人公を「中立的に」描くことができている。正義という判断を下さないのである。

『葬送のフリーレン』のフリーレンもなろう系的人格を当初持っていたが、それを反省する物語である。つまり自分にとっての他者を知ろうとする物語であり、有能か無能かで人を裁き取捨していく物語ではない。

なろう系で最近特に興味深く感じた作品は『佐々木とピーちゃん』である。この作品の主人公はまさになろう系の標準であり読者にとって理想的な人物なのである。主人公の佐々木は商社勤めのサラリーマンだが、そこで鍛えられた交渉術で異世界人に現実の商品を売りつけ富を築いていく。佐々木の思考は論理的で明晰、ピーちゃんというインコから授かったチート魔法も保持している。異世界に現実の物資を持ち込むことの環境変化等の倫理的是非は考慮に入れないし、他人の知的財産で稼ぐ後ろめたさも感じていない。しかし彼はどんな事態においても「スマートに」立ち回り問題を解決していく。彼の行動が道徳的かどうかは重要でなく、資本主義に適応し力を持つことが優先なのである。佐々木は資本も獲得し、女も獲得し、権力も獲得する主人公であり、それがなろう系において理想的とされる主人公なのだ。

更に佐々木は異世界の貴族の忠誠ぶりに感動を覚える。有能な人間は評価されるべきであり、人はそうした人間を尊重し敬うべきなのだという絶対的な価値観がある。

能力で人を従えていくことが美徳になるジャンル。権力志向というか、人が目的でなく手段になっているというか、対話的理性が不在で道具的理性しかないというか、色々問題含みなのである。

石丸現象?やひろゆきの論破と通底するものがあるのかもしれないが、こうしたロールモデルの支持は、それがASD的特性と関連付けられる可能性を考えると私自身は批判に躊躇してしまう。それゆえ『ダンジョン飯』のライオスに批評性を感じてしまうのである。


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